『都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか)』

四世川柳の門人には、落語の寄席演芸である都々逸の生みの親の初代都々逸扇歌がいました。

初代都々逸坊扇歌は、江戸時代末、19世紀初頭から半ばにかけての人物です。

初代の都々逸坊扇歌によって7・7・7・5の音数律の口語による定型詩・都々逸が大成され、落語に分類されました。都々逸は、元々三味線に合わせて謡われた俗曲で、庶民の男女の惚れたはれたを良く材にとったため、情歌などとも呼ばれました。

都々逸坊扇歌は落語の名跡(みょうせき)で、現在は空き名跡です。名跡とは、落語等の寄席演芸、家元制度がある芸の世界などにおいて、襲名される芸名であるフルネームの文字のことを指していいます。旧民法までの間は、名跡の襲名は家制度と似たような扱いでしたが今では、一族の間でしか行われなかったり、顧客の流れを左右するネームバリューへの対価が渡されたりすることもあります。

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