『岸本水府(すいふ)』
岸本水府は、川柳作家兼コピーライターで、番傘川柳社会長および日本文藝家協会会員となった、六大家の1人に数えられる人物です。岸本水府は1892年に三重県で生まれ、本名を龍郎(たつお)といい、幼いうちに大阪府へ移り住みました。
大阪成器商業を卒業した岸本水府は、新聞記者や現代でいう広告の仕事をしました。川柳については、17歳になるやならずやで水府丸という号で作句していたといいます。
1913年には番傘川柳社をたち上げ、『番傘』を創刊、編集主幹となるなど、早熟な才能をみせました。伝統川柳といういい方を好まず、本格川柳という呼称にこだわりをみせ、次々と作句をしました。
広告発案者としても活躍し、グリコ(現江崎グリコ)・壽屋(現サントリー)など名だたるメーカーの広告を手がけました。特に、1936年の『一粒300メートル』というグリコの広告では、一躍知名度が増したといいます。今でいうコピーライターの走りでした。松竹歌劇団のテーマ曲となった『桜咲く国』の作詞担当でも知られました。岸本水府は1965年に亡くなりました。
岸本水府の著書には『川柳手引』や『川柳読本』があります。また、女流作家田辺聖子が執筆した岸本水府の評伝『道頓堀の雨に別れて以来なり』は、泉鏡花文学賞と読売文学賞を受賞しています。
地名等をうまく詠みこんだ川柳が知られています。
例.
大阪はよいところなり橋の雨
友達はよいものと知る戎橋
電柱は都へつづくなつかしさ
道頓堀の雨に別れて以来なり