『肥後狂句(ひごきょうく)』 肥後狂句とは、狂句の種類の1つで、旧肥後藩のあった熊本県で、熊本弁の話し言葉を使って創作されるものです。 熊本の新聞などのマスメディアに定期的に載るなどの、市民や県民に大変親しまれる文化文芸です。 熊本弁の特有さを絶対に採り入れないといけないわけではなく、笑いや風刺が基調です。...
川柳の用語
川柳の用語の記事一覧
『薩摩狂句(さつまきょうく)』 薩摩狂句とは、狂句の種類の1つです。 旧薩摩藩のあった鹿児島県で、鹿児島弁で創作されるのが特徴の狂句です。 地元薩摩では、テレビやラジオ、新聞等のマスメディアで作品が紹介されることも多く、狂句のサークルも幾つかあって、鹿児島弁の特徴のにじんだ句ならではの魅力が楽しまれています。...
『前田雀郎(じゃくろう)』 前田雀郎は六大家の1人で、古川柳研究家として知られました。 前田雀郎は、1897年栃木県宇都宮市に生まれ、本名を源一郎といいました。 1912年に宇都宮商業を卒業した前田雀郎は、1915年に銀座に在った貿易商社に入社、10世川柳の門下となり、1917年に出版社に入社して雑誌の川柳欄を手伝いま...
『村田周魚(しゅうぎょ)』 村田周魚は、川柳の六大家の1人で、父は俳諧の宗匠でした。 1889年に江戸で生まれ、本名を泰助といいました。門前の小僧ならぬ門内の小僧として、自宅で催された俳句の講義に6歳で加わっていたとされます。 俳諧の前句付けを聞き及び、俳句から川柳へと鞍替え、1913年には井上剣花坊の主催する柳樽寺川...
『椙元紋太(すぎもともんた)』 椙元紋太は、平家の擁した幼帝の安徳天皇や高倉上皇、後白河法皇らの滞在した旧都福原京にほど近い、神戸花隈で1890年に生まれました。 菓子屋へ丁稚奉公していた18歳の頃には、川柳句会へ出席し、菓子製造甘源堂主人になりました。 1929年には、仲間18人ほどと協力し、川柳の雑誌『ふあうすと』...