川柳の作り方
川柳の作り方の記事一覧
『井上剣花坊(けんかぼう)』 井上剣花坊は、正岡子規と並び称される近代文芸運動の旗手の1人で、川柳作家でした。 明治3年6月3日(1870年7月1日)に、井上剣花坊は山口県萩に生まれました。 幼名を七郎といい、後に幸一と改称しました。よく知られた柳号は、喧嘩っ早い性格という面をアピールして句に面白みをもたせる効果を狙っ...
『阪井久良伎(くらき)』 阪井久良伎は、川柳の選者で川柳作家でもある人で、本名を辨(わかち)といいました。 明治初頭から1945年の人物で、川柳革新運動を井上剣花坊と担ったことで知られました。 阪井久良伎は共立英語学校高等師範国文科に在籍中、石城や徒然坊の筆名で和歌と漢詩の投稿をするうち、新聞社勤務を経て、『旧派歌人十...
『水谷緑亭(みずたにりょくてい)』 水谷緑亭は、江戸時代後期の川柳作家で、5世川柳を襲名した人になります。立志伝の人といわれていました。 天明7年(1787年)に南茅場町において生まれ、本名を雅好、通称を金蔵といい、別号を腥斎佃(なまぐさいたづくり)と称しました。 というのも水谷金蔵は、幼い頃父を亡くした為に、江戸は佃...
『葛飾北斎(かつしかほくさい)』 葛飾北齋は、江戸時代後期の著名で多作な浮世絵師でした。 宝暦10年9月23日(1760年10月31日)に生まれ、『富嶽三十六景』等の浮世絵で知られる、化政文化を代表する画家となり、当時として長生きした人でした。 四世川柳の門人でもあり、柳号を卍とされていました。 葛飾北斎が亡くなったの...
『都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか)』 四世川柳の門人には、落語の寄席演芸である都々逸の生みの親の初代都々逸扇歌がいました。 初代都々逸坊扇歌は、江戸時代末、19世紀初頭から半ばにかけての人物です。 初代の都々逸坊扇歌によって7・7・7・5の音数律の口語による定型詩・都々逸が大成され、落語に分類されました。都々逸は、元...
『柳亭種彦(りゅうていたねひこ)』 柳亭種彦は、江戸時代の劇作者で、長編の『偐紫田舎源氏』などの著作で有名です。 柳亭種彦は天明3年5月12日(1783年6月11日)に江戸の本所の旗本の家に生まれたとされ、寛政年間に14歳で家督を継ぐに至ります。食録二百俵です。 そして、高屋彦四郎知久を名乗りましたが、別号には足薪翁や...
『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』 誹風柳多留とは、江戸時代中期からに毎年のように刊行されていた、江戸時代の川柳の句集です。 初回の刊行は、1765年7月です。柳亭種彦や十返舎一九、宿屋飯盛らが評者や序文執筆者となりました。 創刊誌に掲載された句に直接関わったのは、柄井川柳と呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)等です。...