川柳の用語 肥後狂句(ひごきょうく) 2020年1月25日 『肥後狂句(ひごきょうく)』 肥後狂句とは、狂句の種類の1つで、旧肥後藩のあった熊本県で、熊本弁の話し言葉を使って創作されるものです。 熊本の新聞などのマスメディアに定期的に載るなどの、市民や県民に大変親しまれる文化文芸です。 熊本弁の特有さを絶対に採り入れないといけないわけではなく、笑いや風刺が基調です。...川柳の作り方
川柳の用語 薩摩狂句(さつまきょうく) 2020年1月25日 『薩摩狂句(さつまきょうく)』 薩摩狂句とは、狂句の種類の1つです。 旧薩摩藩のあった鹿児島県で、鹿児島弁で創作されるのが特徴の狂句です。 地元薩摩では、テレビやラジオ、新聞等のマスメディアで作品が紹介されることも多く、狂句のサークルも幾つかあって、鹿児島弁の特徴のにじんだ句ならではの魅力が楽しまれています。...川柳の作り方
川柳の用語 狂句 2020年1月25日 『狂句』 狂句とは、近世から発達した定型詩の形式の1つです。 狂句は元々、川柳と同じでした。 ところが、初代川柳が亡くなって、四世川柳が指導者のようになると、川柳的な句が俳風狂句と名付けられたため、狂句というジャンルが発生したといわれています。 そのため、狂句も五七五の形式でウィットにとんだものとして知られました。 俳...川柳の作り方
川柳の用語 狂歌(きょうか) 2020年1月25日 『狂歌(きょうか)』 狂歌とは、57577の短歌と同じ文字数による、短歌の滑稽バーションといっていい形式の和歌です。川柳と並び称され、内容や形式の違いは、狂歌が短歌と同じ文字数、川柳が俳句と同等の文字数といった程度です。 内容は、季語を必要とせず、社会風刺を基調とし、皮肉っぽさや主観的な主張があくまで滑稽さを装って盛り...川柳の作り方
川柳の用語 サラリーマン川柳 2020年1月25日 『サラリーマン川柳』 六大家以降の、特筆される変化としては、サラリーマン川柳など、現代世相の反映と想定され1つの指標として扱われるほどの公募が企業主催によって行われだしたことが挙げられます。 川柳公募のうちの1つサラリーマン川柳は、日本漢字能力検定協会による今年の漢字や、自由国民社の新語・流行語大賞、そして住友生命主催...川柳の作り方
川柳の用語 前田雀郎(じゃくろう) 2020年1月25日 『前田雀郎(じゃくろう)』 前田雀郎は六大家の1人で、古川柳研究家として知られました。 前田雀郎は、1897年栃木県宇都宮市に生まれ、本名を源一郎といいました。 1912年に宇都宮商業を卒業した前田雀郎は、1915年に銀座に在った貿易商社に入社、10世川柳の門下となり、1917年に出版社に入社して雑誌の川柳欄を手伝いま...川柳の作り方
川柳の用語 川上三太郎 2020年1月25日 『川上三太郎』 川上三太郎は1891年に江戸で生まれ、本名を幾次郎といいました。別号に蒼蒼亭(そうそうてい)などがありました。 川上三太郎は井上剣花坊の柳樽寺川柳会の同人になり、1910年に大倉商業を卒業、大倉洋行に勤務し、天津に赴任、1913年に帰国しました。そのような商事会社を退社後は、東京毎夕新聞に就職したといい...川柳の作り方
川柳の用語 村田周魚(しゅうぎょ) 2020年1月25日 『村田周魚(しゅうぎょ)』 村田周魚は、川柳の六大家の1人で、父は俳諧の宗匠でした。 1889年に江戸で生まれ、本名を泰助といいました。門前の小僧ならぬ門内の小僧として、自宅で催された俳句の講義に6歳で加わっていたとされます。 俳諧の前句付けを聞き及び、俳句から川柳へと鞍替え、1913年には井上剣花坊の主催する柳樽寺川...川柳の作り方
川柳の用語 岸本水府(すいふ) 2020年1月25日 『岸本水府(すいふ)』 岸本水府は、川柳作家兼コピーライターで、番傘川柳社会長および日本文藝家協会会員となった、六大家の1人に数えられる人物です。岸本水府は1892年に三重県で生まれ、本名を龍郎(たつお)といい、幼いうちに大阪府へ移り住みました。 大阪成器商業を卒業した岸本水府は、新聞記者や現代でいう広告の仕事をしまし...川柳の作り方
川柳の用語 椙元紋太(すぎもともんた) 2020年1月25日 『椙元紋太(すぎもともんた)』 椙元紋太は、平家の擁した幼帝の安徳天皇や高倉上皇、後白河法皇らの滞在した旧都福原京にほど近い、神戸花隈で1890年に生まれました。 菓子屋へ丁稚奉公していた18歳の頃には、川柳句会へ出席し、菓子製造甘源堂主人になりました。 1929年には、仲間18人ほどと協力し、川柳の雑誌『ふあうすと』...川柳の作り方